米原万里著「不実な美女か貞淑な醜女か」新潮文庫版
著者はロシア語の専門家、通訳、そしてエッセイスト。名前は聞いていたが、身近に感じたのはNHKラジオで書評を耳にしてからである。短い時間にポイントを突いて紹介していて、それぞれがとても魅力的な語り口であった。同世代というより同い年である。享年56才、早すぎる死。
題名からあまり読書欲をそそられずにいた。なるほど原文に正確かどうかを貞淑度に例え、訳文が整っているかどうかを容貌に例えてこのような題名となった由。「『貞淑な美女』を演じきれても、いつもそうあり続けるのは、人間業を越えていて不可能。」逐次通訳だけ考えても人間業とは思えないのだから、いわんやさらにそれを原文に正確に、かつ美文化しながらなど出来る訳がない。
また、別の章で、「というわけで、まさに前門の虎、後門の狼。虎は、『異文化間の溝を埋めよ、文脈を添付せよ』と眼を光らせているし、狼は、『極力、訳出時間を短縮せよ』と容赦なく迫ってくる。虎の要求にそおうとすると、時間を喰い、狼のいうとおりにすると、文脈を添える余裕がなくなる。」のだが、「言葉における余分なものを、言語学やコミュニケーション論など学問のコトバで冗語性といっている・・・何語であれ、話し言葉においては、冗語の割合がおおそ60%から90%、ときには100%を占めることがあるそうだ。(中略)こんなのは、通訳の際、バッサリとカットしてしまってもかまわないわけだ。」冗語性に関してはほかに何度も言及されているが、このことは普通に話を聞くことが下手な私なんぞも日頃から身につけておきたいテクニックである。ついつい相手の発する言葉を平面的に頭に入れていくことで結局何を言いたいのかよくわからないことがよくあるのだから。
通訳の苦しさと楽しさについて、「通訳になりたての頃、来日した作家に二週間も張りつくように随行して、講演や座談会から日常生活上のやりとりまで通訳し続けたことがある。七日目ぐらいになると、私はその尊敬する作家の顔を見るのも厭になり、十日目にはブッ殺したくなった。(中略)殺意の原因は、本来自分の意思や思想や感情を表現することを使命とする脳のある部分が、あまりにも長く他人の意思や思想や感情に占領されていたために、耐えきれなくなってあげる悲鳴のようなものではないかと思う。」が、「『両者のコミュニケーションは私がいて初めて成立している』と実感する時、狭量な自我は二つの異なる宇宙をつなげる、より広大な世界に拡散されるような吸収されるような快感がある。(中略)地理的にも離れ、異なる歴史を歩んできた国の人々が、異なる文化と発想法を背景にしたそれぞれの言語で表現しながら、それでも通じ合っているそのこと自体が奇跡に思えてならないのだ。そして異なるからこそ共通点を見出した時の喜びは大きい。(中略)通じる瞬間のとてつもない歓喜を一度味わってしまうと病みつきになる。」
異文化間を取り持つこの職業が如何に大変なことか、それだけにやり甲斐もまた大きいかったのだろうが、激務が彼女の命を縮めてしまったのかとさえ想像してしまう。


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